幼い頃、家の周りには沢山の田んぼがあった。稲を刈り入れた後の田んぼは子供たちにとって格好の遊び場だった。ビニールのバットとゴムボールで野球をしたり、お正月には凧揚げもした。忘れられないのが、泥だんご作りだ。
粘土質の土の中の空気を抜くように、圧力を加えながら丸めてキレイな球体に仕上げていく。ひび割れしないように陰干しにしたり。とても地味な遊びだが(笑)、夢中になった。
何年か前から泥だんご作りが注目されて、今では簡単にできる制作キットも発売されている。最近の泥だんごはピカピカになるまで磨くようで、子供の頃にそれを知っていたら無心でやっていたと思う。
泥をいくら磨いても泥は泥。ダイヤモンドにはならない。泥の分際でダイヤモンドになろうとするから悩む。ダイヤモンドからすれば「ちょっと何言ってるかわからない」((c)サンド富澤)となるだろう(笑)。
そりゃダイヤモンドだって、大きさや透明度、色などで悩むだろう。その気持ちを泥に理解しろといわれてもわからない。泥にとっては贅沢すぎる悩みだからだ。
私は金持ちの家に生まれてきたわけでもなく、高度な教育を受けてきたわけでもなく、大企業で働いているわけでもない。無名のカメラマンであり、ライターである私はまさに泥。泥にだって意地がある。それこそ、泥水をすすっても生き抜いてやる。
たしかに、泥を磨きに磨いた泥だんごは、ダイヤモンドの輝きには遠く及ばない。でも、その鈍い光は人々を魅了する。私はそれで、いい。
※写真は、名古屋市東区東桜『神楽家』のテイクアウトで、季節の炊込ご飯と焼魚、出汁巻き玉子を詰め合わせた「焼魚と炊込ご飯弁当」(1000円)。昨日、Web版『おとなの週末』で紹介させていただきました。取材にご協力いただいた日下社長、川副料理長、スタッフの皆様、ありがとうございました!
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